25年度 6年生『沖縄学習旅行』(2日目)

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<2日目>1組ずいせん学徒隊コース  1組は当時の沖縄県立首里高等女学校の学生たちで構成された、「ずいせん隊」の宮城みちこさんが戦時中に辿ったコースを回りました。  みちこさんが通っていた沖縄県立首里高等女学校がかつてあった場所からスタートです。どんな高校生活を送っていたのか、そこには今と変わらない高校生の日常があったことに思いを馳せます。    みちこさんの友人も何名も犠牲になりました。犠牲になった命に千羽鶴のパネルを供えさせていただきました。  午前中の最後はずいせん隊の慰霊碑を訪れました。黙とうと、鎮魂のエイサーを踊りました。  沖縄の自然の防空壕”ガマ”(アブチラガマ)に入りました。沖縄戦末期には南風原陸軍病院の分室としても使用されました。ここでも多くの方が命を落としました。中では実際にライトを消して暗闇体験をしました。ここで当時の沖縄の住民が生活していたことを肌で理解しました。 2組 ひめゆり学徒隊コース    2組は沖縄県立女子師範学校と沖縄県立第一高等女学校の生徒で構成された「ひめゆり隊」の宮城きくこさんが戦時中に辿ったコースを回りました。  南風原陸軍病院壕跡地の前の坂は当時”飯上げ坂”と呼ばれました。時には米軍からの艦砲射撃が降りしきる中、女学生たちは軍人や患者が食べる米飯を運びました。実際の重さを体験すべく、全員でかついで坂を上がってみました。  1945年6月23日、日本軍は組織的な戦闘をやめ、各々の日本軍部隊に解散命令を出しました。荒崎海岸はみちこさん達が最後にたどり着いた場所で、生死の境となった場所です。米軍に投降して助かった命、あえなく亡くなってしまった命。ここでも鎮魂の祈りを込めて、全力でエイサーを踊る2組の子ども達でした。    ひめゆり資料館では、当時の女学生たちの手記を一人一人が真剣に読んでいました。自分達よりも少しだけ年上の当時の学生たちの多くが、沖縄戦の中で尊い命を失いました。その方の言葉と向き合う中で、自分自身や”平和”と向き合う貴重な時間です。  昼食は沖縄そばです。じゅうしい(炊き込みご飯)といっしょに、沖縄の味を堪能しました。  平和祈念公園では韓国人慰霊の塔にも行きました。平和ガイドの方から、沖縄戦と韓国(朝鮮)人のかかわりの歴史について、話を聞きました。  平和の礎では、自分が探したい”名前”をそれぞれが探しました...

3年「なんとなくわかった」「もっとおしゃべりしたい!」(異文化・国際理解教育)

 和光鶴川小学校では、異文化に触れる中で、世界には多様な国や民族があることを知り、グローバルな世界観と多民族理解、そして共生の思想を子どもたちの中に育てたいと願い、「異文化・国際理解教育」を1年生からすすめています。

 外国語活動はその一つとして、3年生から、相手との交流を目的に、身近な英語に触れるところから学習に取り組んでいます。

 この日は、圓城寺先生の知り合いの Brooke と Mika のお二人が来てくれました。

自分で書いた名刺を渡しながら、自分の名前を伝えているところ(2組) 

自分で書いた名刺を渡しながら、自分の名前を伝えているところ(1組)

写真を見せてもらいながら、自国の文化や好きなものを英語で教えてくれました。


興味津々で聞く子どもたち!
ぜんぶ英語だったのに、みんなよ~く話を聞いて、笑ったりうなずいたりしていました

ききたい、わかろうとするみんなの姿がとってもいい!
そのあと、これまで学んできた表現「What 〇〇 do you like?」を使って、
好きな色、スポーツ、くだもののやりとりを楽しみました。

授業が終わって、昼休みもおしゃべりしたくて控室前で出待ちする子どもたち

二人からのサインをねだっています笑


昼休みも遊んでもらって、大満足の子どもたち。

ことばはわからなくても、思いは通じる! なかよくなれる!!
これからもいろいろな人と出会ってなかよくなりたいね。