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10月, 2022の投稿を表示しています

2年生活勉強『パンを作って食べる』「はんのみんなできょうりょくして、SHIMAさんみたいなふわふわもっちりパンを作りたい」

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 2年生は毎年、生活勉強でパン作りを行っています。そして秋頃に、自分たちで作ったパンでパン屋さんを開き、たてわり学級に本物のお金で売る、という学習をしています。 2年1組は、小麦のアレルギーの子どもがいるため、『米粉でパン作り』に挑戦! 「できたー!!」 班のみんなでピース♫  まずは子どもたちが自分たちで、必要な材料、使う道具、作り方(レシピ)を調べてきて、クラスで発表。本で調べるだけでなく、パン作りにくわしい人や、中には近所の米粉パン屋さんに足を運んでインタビューしてきたり、実際におうちでためしに作ったりして、子どもたちからたくさんの情報が届きました。  そして1回目のパン作りに向けて、班ごとに計画を立てました。まずは班ごとに、作りたいパンを決めて、材料と分量、使う道具、作り方を自分たちで調べて計画し、1回目のパン作りに挑戦!! はかりを使って、自分たちで分量をはかるところから… 自分たちでたてた計画書を見ながら、水をちょびっとずつ入れて・・・ まぜる!! 『フライパンで米粉パン』の班は、そのままフライパンに流しいれ・・・ 温めたフライパンで発酵 → 焼く → 裏返してまた焼く 『米粉ベーグル』に挑戦の班は、 発酵 → まるめて・・・ 穴をあけてオーブンへ・・・ 「焼けたかな?」 『基本のまるパン』に挑戦の班は、 オーブンで 発酵 → まるめて → 焼く オーブンの前で 見守る子どもたちが かわいい! 『基本のまるパン』の班は・・・・ 『フライパンで米粉パン』の班は・・・・ 『米粉ベーグル』に挑戦の班は・・・・ そして、お弁当の時間に自分たちが焼いたパンを食べてみると・・・ 「しょっぱい!!」  「あじがしない……」  「‥‥かたい」  どの班も、計画したことを協力してよくがんばりました!! 初めてなので、上手においしいパンができなくたって、失敗したってあたりまえ!   むしろ大事なのは、その失敗から振り返って、「なんでしょっぱくなったのか?」「なんでふわふわにならなかったのか?」など、 考えて → 調べて → 計画して → やってみる → ふりかえりをして、新たな疑問  この学習のサイクルを大事にしたいと思っています。  ちなみに、2年1組は、クラスでふりかえりをした時、『基本のまるパン』で2の1パン屋さんを開こう!と決まりました。 開店できるように、これから...

渡嘉敷を丸ごと学ぶ  沖縄学習旅行3日目

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学習旅行3日目。今日は高速艇でケラマ列島:渡嘉敷島にわたり「集団死を学ぶ」「海遊びを楽しむ日」です。天気は晴れ。海遊びを楽しめそうです。 渡嘉敷島では1日目の夜に話してくれた。吉川先生が待っていてくれました。 早速バスで「集団自決」のあった。場所まで移動しました。吉川先生が慰霊碑の前で集団死のことや慰霊碑ができるまでのこと。碑文が書き換えられたことなどを話してくれました。 そして「今まで話してきたことが起こった現場を見てほしい。そして感じ取ってほしい」 という思いで吉川先生の家族が当時集まったという場所に案内してくれました。その場所でどうして自分は生き残ることが出来たのか、その後の生活について話てくれました。 その後、西展望台へ移動し慶良間海峡をバックにエイサーを全曲踊りました。 エイサーの後はバスで移動し、強制連行で日本に連れてこられた朝鮮人に掘らせたという「特攻艇秘匿壕」で話を聞きました。 昼食の後は「とかしくブルー」の海で海遊びを楽しみました。 海遊び楽しんだ後は高速艇で本島にもどりました。ホテルで最後の夕食をたのしみました。 夕食後は学級ごとに学習旅行の感想や考えたことを話し合う学級集会を行いました。

「沖縄戦」学んだ 沖縄学習旅行2日目

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2日目の起床は5時30分。外はまだ暗い。それでも子どもたちは遅れることなく、食堂に集合しました。 朝食も豪華でボリュウムがありました。 明るくなった那覇市街を見おろしながらの食事。 今日は沖縄戦について学びます。 1組は首里高女の学徒隊「ずいせん学徒隊」で沖縄戦を体験した、宮城巳知子さんがたどった道を追体験しながら沖縄戦について学びます。 長堂先生と宮城千恵先生が案内してくれました。 首里高女の学校跡地で説明する宮城先生。   巳知子先生が最初に配属された「ナゲーラ壕」の跡地で当時の学徒隊の様子を話す、長堂先生。 ナゲーラ壕を出て南部に撤退するときに立ち寄った「識名壕」に入りました。そこで巳知子さんが体験したことの話を聞き、暗闇体験をしました。 巳知子先生が南部に撤退して「解散命令」を告げられた米須の壕の前で長堂先生の話を聞き、班ごとに用意していた平和のパネルを置きました。 巳知子さんのたどった跡の追体験の最後は「ずいせんの塔」での長堂先生の話と学級集会でした。ここで慰霊の気持ちをこめてエイサーを踊りました。 2組は迫田先生の案内で第1高女の「ひめゆり学徒隊」に配属された、宮城喜久子さんのたどった道を追体験しながら学習をすすめました。最初に南風原(はえばる)に手掘りで30本近い洞窟をつくって野戦病院として使った、「南風原陸軍病院」のあった場所で学習をしました。 ここで負傷兵に配られた食事は「最初はテニスボールぐらいの大きさだったのにそのうちにピンポン玉の大きさに変わった」という話を迫田先生から聞きました。  そのご飯を運んだのが女子学徒隊。その大変さを実感してほしいと迫田先生は5kgのバケツと担ぎ棒を用意してくれました。飯あげの道で実際に飯上げを体験しました。 次は戦況が悪化し南部への撤退が始まり、分院として使われた糸数にある、アブチラガマに行きました。200m超えるとても大きなアブチラガマ。ここでは2グループに分かれて暗闇体験をしました。 喜久子さんのたどった道を追体験する学習の最後は「第1外科壕」でした。当時ここで喜久子先生は「解散命令」を告げられます。その場所でどんなことが起こったか、ひめゆり祈念資料館の尾鍋さんから、話を聞き、みんなでエイサーを踊って慰霊の気持ちを伝えました。 昼食は近くにあるでいごというドライブインで、「ソーキそばセット」を食べまし...

天気よし。深く体感した「基地の島沖縄」 学習旅行1日目

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朝7時、全員がそろって、沖縄に向けけて出発です。  雨はほぼ止むも、気温は10℃を少し超えるぐらい。 30分ほど遅れて飛行機は離陸。 機内では鶴を折ったり、遅めの昼食のに備えて用意していたおやつを食べたりしながら過ごしました。 沖那覇空港への着陸に備えて低空飛行に入った時に海が見えました。何か長い縞模様が見えて、いていつもと違っていました。海底火山の噴火による軽い石が流れているということがわかりました。 予定より30分以上遅れて到着。沖縄はほぼ快晴。気温25℃。暑いくらいでした。すぐにバスに乗り込んで「基地の島沖縄」の学習に出かけました。 まずは嘉手納基地へ向けて出発です。組ごとにバスに乗り込みます。1組には川満さん。2組には瀬戸さんが同乗して解説してくれました。高速道路を使って嘉手納基地へ向けてまっしぐら。30分ほどで昼食と嘉手納基地見学をする「道の駅かでな」に到着。昼食は大きなハンバーガー。 資料室で説明する瀬戸さん。  屋上で説明する川満さん。 説明の途中でも何度も戦闘機が訓練のため発着し、爆音で声がかき消されました。 嘉手納基地を見た後は、1959年6月30日子前10時40分、嘉手納基地から飛び立った戦闘機が墜落した石川市(現うるま市)の宮森小学校へ向かいました。その事故で小学生11名、一般の方6名が犠牲になりました。 宮森小学校とは学校間交流を予定していました。しかし、コロナの拡大によって縮小して行うことに。 6年生80名が運動会で踊ったというエイサーを踊ってくれました。「運動会は学年別に行ったので、見てくれる人がとても少なかったです。和光鶴川小学校の皆さんが見てくれて、とてもうれしいです。」という宮森小学校6年生の言葉に、コロナ禍でも工夫しながら行事を進めて居る学校の姿にとても共感しました。鶴小の6年生も「三線も子どもがやっていてびっくりしました。」「太鼓の音がそろっていていっぱい練習したんだなと思いました」と宮森小のエイサーに賛辞を送っていました。 チョンダラー3名の子によるエイサー。 エイサーを見た後は学校敷地内にある慰霊碑「なかよし地蔵」の前で、「630会」の方からジェット機墜落事件の話を熱心に話を聞き、沢山の質問をする子ども達の姿がとても印象的でした。 630会からは3名の方が来てくれました。 なかよし地蔵の前で話す会長の久高さん(当時5年生)。...