第28回・沖縄学習旅行2日目(24年度6年生)

          

 2日目、心配されていた天気は曇り。雲の隙間から、青空ものぞきます。

朝ごはんを食べ、今日はクラスごとに沖縄戦について学びます。

1組は、首里高女の学徒隊「ずいせん学徒隊」で沖縄戦を体験した、宮城巳知子さんが辿った道を、追体験しながら巡ります。
長堂先生と、宮城千恵先生が、案内をして下さいました。

首里高女の学校跡地では、楽しかった学校生活の話を聞きました。
その後、配属され戦争での日々を過ごしたナゲーラ壕、識名壕に行きました。
識名壕は入口まで入りました。ジメジメしていて、クラスで入ると熱気にも包まれます。
終わってから「早く出たいと思った」という子どもの感想に、「当時はここが天国だったんだよ」と教えてくれました。
識名豪や、巳知子先生が「解散命令」を告げられ米兵に捕まった米須の壕、そしてずいせんの塔では、平和のパネルを置き、黙とうを捧げました。
慰霊の気持ちを込めて、エイサーも踊りました。





2組のコースは迫田実さんに案内をしていただきました。
 朝のバスで「はいさい!」とガイドの迫田さん。1日目にバスガイドさんから教えてもらっていたので、みんなも大きな声で「はいさい(はいたい)」とこたえていました。
迫田さんには、宮城喜久子さんが沖縄戦当時たどった南部戦跡を案内していただきました。
バスの中で迫田さんから、沖縄戦当時、米軍上陸と侵攻に追われた女子学徒隊が悲惨な日々をたどった足取りを聞いた上で、南風原陸軍病院壕を訪れました。
 陸軍病院分室になった糸数アブチラガマでは、配属された「ひめゆり学徒隊」が、負傷兵で埋め尽くされた中で看護を続けた実態を知ることができました。当時と同じ暗闇も体験しました。
 組織的な戦闘の終わるころ、学徒たちが最後に追い詰められた本島最南端荒崎海岸の激しい波の目前まで行きました。
 伊原第一外科壕跡では、ガイドさんから当時起きたことをたくさんの証言をもとに聞きました。平和パネルを手向け、黙祷を捧げました。

 









1組も2組も、糸数壕にも行きました。南部への撤退が決まり、分院として使われた場所です。
当時その場所で、どのような生活や看護がされていたのか、実際に入って話を聞きました。暗闇体験もしました。目の前に手を出しても、何も見えません。
「もっとひどい状況と不安の中、いつまで続くか分からない時間をここで過ごすなんて…。来てみてようやく感じたけど、絶対に耐えられない…」ある子が、ポツリと呟いていました。

お昼は沖縄そばにジューシーと、沖縄料理を楽しみました。
昼食後は、学年で「ひめゆり祈念資料館」と平和祈念公園に行きました。
この時には、朝の雲はどこへやら。太陽が照り付け、真っ青な空が広がっていました。汗を拭いながら平和祈念公園を歩きます。
平和祈念公園では、最初に、韓国人慰霊碑で、長堂先生から話を聞きました。
なぜここに慰霊塔があるのか、どんな想いや意味が込められているのか教えてもらいました。
また、平和の礎では宮森630会の稲福さんから話を聞きました。

それぞれが事前学習で決めていた方の名前を探します。
学徒隊の方、親戚の方…30分以上、じっくりと見ていました。たくさんの名前が刻まれた礎を見ると、改めて、本当にたくさんの方が亡くなられたのだと感じます。
最後は、亡くなられた方への慰霊の想いを込めて、エイサーを踊りました。




ホテルに戻り、夕食後は内間青年会の方たちとの交流です。
4歳から50代の方まで来ていただき、内間青年会のエイサーを披露していただきました。
太鼓の迫力に圧倒されつつ、かっこいい踊りに、食い入るように見入っていました。その後の質問や感想が、とまらないほどでした。
鶴小のエイサーも披露し、最後は一緒に唐船ドーイで盛り上がりました。


 
 明日は3日目。渡嘉敷島には天候の関係で渡れませんが、美ら海水族館をはじめ、本島の中でいつもの鶴小のコースでは回れないところに行く予定です。


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